熊恭太郎雑記・ゲーム記事の解釈の注意(親記事) -

人間が合う合わないはなるべく考えない

互いに合う合わないを考えるはじめると疲れます。

ある人は自分に合わない、ある人は自分に合う、と意識しながら行動すると私なんかは疲れます。無意識に任せるようにしています。

ですが世の中には、不思議と人間の嫌いなタイプを口に出して語りたがる人がいるものです。一部の人を突き放す態度をとると、自我を強調することができるので一瞬だけは快感を得ることができます。ですがその後のことを考えるなら、私はあまりお勧めしません。熊恭太郎雑記の周辺に気に入らない人がいた場合、そっと目を伏せ、無言で立ち去ることをお勧めします(私に対してだけでなく、コメント欄に現れる他人に対しても同じです)。

自分の好みを意識しない方が客観的な信頼が得やすいし、結果として楽しいし、幅広く交流できるようになります。相手が拒絶するなら好きにさせておけばいいので、自分はのらりくらりといろいろな人と交流するのがよいと思います(と私が言ってもあまり説得力ないのですが。自サイトの外にあまり出ないもので)。

八方美人になれ、というわけでもありません。人物間に序列を設けてしまうことは、人間だからある程度やむを得ない部分はあると思います。

ここで言いたいのは、互いにあんまり難しく考えるのはやめないか、わざわざ「ああいうタイプはダメ」「付き合いづらい」と口に出して自分を貶めなくてもいいんじゃない(それを言った人が今度は客観的に付き合いづらい相手になる)、選り好みしない方が全体としては楽じゃないかね、といったような話です。

いろいろな人間がこの世に共存していることを認めて、時には適当に合わせ、時には無言で距離を置きましょう。これは決してきれい事ではなく、たぶんそうすることが結果として楽になるだろうという、ズボラな私が出したこれまでの結論です。