この期に及んで…この度、性懲りも無くページを復活させた。実に1.5年ぶりくらいだと思う。 突然ページを廃止したのは何故か? 何故今まで沈黙していたのか? 不思議に感じ、あるいは異変を感じ取った皆様からの疑問メールが一通も届かなかったことから、私のページに対する世間の興味は無いに等しいであろうことは確実だ。 …まあね、多くの人に価値有る、あるいは興味を引くページを作るというのは、とても大変なことだというのは分かってるよ。 興味は無いかもしれないが、ページを更新しなくなり、やがて消えた理由を書いておく。私がページを更新できなかった理由は、個人的にも社会的にも、実に由々しき事情があったからなのだ。 全ては、北本市の三菱マテリアル爆発事件に端を発した。日向ぼっこに最適な、うららかな 次いで、消費税率5%への引き上げ。収入の少ない私に対する、国からの酷い仕打ち。その姿勢は、「通産省と郵政省に金が必要だから電話代削れ」と言わんばかりだ。私はこれに対抗すべく、ISDNを引いたが、NTTを利するばかりだった。くそう。 さらに、証券会社の大手だった山一証券の倒産。不景気とは何か、ページに書く内容を考えているうちに眠くなり、書くのは10年先に延ばす事にしたのだった。多分一生書かない。 強烈だったのは、1998年に巨人が優勝を逃したことと、高橋が新人王を逃したことだ。巨人優勝おめでとうページを既に完成させていた私は、その多大な労力が無に帰した事に腹を立て、二度とページなんぞ書くかと心に誓ったのだった。もちろん誓いは破るために有る。 そしてトドメは桶川駅前女子大生刺殺事件。マインを利用する際、いつも私が自転車を止める位置の数メートル先で殺人事件が起こったなど、呪われているとしか思えない。呪いは、本となって上野駅の本屋で「HTML入門」の近くで売られていた。しばらくHTMLは書かないほうが良い。 とまあ、実に難題が押し寄せの2年だったわけだ。…何か時期を間違えているものもあるような気がするが、これで読者の方には、私のページが消されていた理由を、十分理解していただけた事と思う。 さて、本題に入る。 1997年に、当ページを初めて設置した当時のコンセプトは何か。それは、「Webページを作ってみたい」であり、そのスタンスは「更新が続かなくなったら辞める」だった。つまり、 興味が有ったから作ってみた、でも飽きたらやめる。
というわけだ。だから、身辺の理由や私の興味の度合いにより、更新が続かなくなった時点で、このページは終わっていたのだ。それがいつのことだったかは憶えていないが。 そして、今回もスタンスは同じだ。異なるのは、設置しているコンセプトだ。前回は単にWebに興味があり、実験的に設置してみただけだったが、今度は違う。 自分勝手な事を言ってやろう。
という方針だ。他人への誹謗中傷は好きではないのでおそらくしないが、否定的な意見は良く言う。悪口とまでは行かないまでも、他のページの誰かが主張した事や意見を、自分のページ内で批判したり、一方的に反対したり、止めてくれと言ったりすることは、他のページでも良く見かけるが、私もするかもしれない。したがって、ネガティブな雰囲気をかもし出す資質は十分にあると思う。 ここは公の場であって私の独壇場でもある。Webとはそう言う場所だ。だが、好き勝手なことを言った挙句に外部から叩かれ、プロバイダからも三行半を叩きつけられるという結末も、有り得るかもしれない。 飽きたらやめるというスタンスは変えない。趣味同然で作業しているのだから、私の稼動を多大に割き、かつ世間にも私にもメリットをもたらさないWeb公開という事業を、優先して継続する必要は何処にも無いのだ。 大事な点を付け加えると、今回はハンドル名のみ公開だ。前回は本名を明記していたが、会社の人間にInfoseekから私の名前で検索され、見事トップに表示されてしまった時の悔しさは、今でも忘れられない。 今度は見つからない。見つからないことを願う。しかし、URLは変えていない。だから、覚えている人にはばれるかもしれない(いねえよ)。皆の衆、私のページにリンクを張るときは、近くに本名を書かないように、よろしく頼む。 …とまあ、早速好き勝手なことを書いているわけだが、要するに私のやる気次第の趣味ページというわけだ。ってこれでは他の多くのページと変わらない。 だけど、私以上に好き勝手言うページが結構あるのに、彼等に言わせっぱなしでも面白くない。だから、この度は私も一肌脱いだわけだ。 無論、何を書くかは決まっていない。誰かネタくれ。 戻る
ページ作成 熊恭太郎
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