幼き日の苦い思い出


 何やら懐かしい系の話題のウケが良いようなので、類似の話題を少し書いて見ようと思う。

 ごく普通の、ありふれた話の3連発。


 小学校の時、宿題だった読書感想文の発表会当日に、肝心の文章を書いていかなかったことがある。

 もちろん宿題忘れの常習だった私が、宿題をやっていないのは当然のことなのだが、発表会はあっという間に始まってしまい、「忘れました」宣言を先生に言う機会を逸したのだ。静粛にみんなが発表される作文を聴いている中、今更「先生、宿題忘れました」などとは恥ずかしくて言えない。

 そこで、自分の番が回ってきたとき、即興で文章を作って発表することにしたのだ。幸い、半分ほどは出来ていたから、あとは量の問題だ。

 必死に続きの文章を考え、アドリブで最後まで発表をし終えた私は、大仕事をやり終えた充実感で一杯だった。「何事もあきらめず最後まで頑張りなさい」という先生の言葉を、しっかりと守った美談と言える。

 ところが問題はこの後だった。

 「作文、まだ終わってないんじゃなかったの?」

 後ろの女の子にバレていた。文章を考えることに熱中し、空白の原稿用紙を周りから隠すことを忘れていたのだ。

 発表会のときには、自分の原稿用紙を隠さないと恥ずかしい思いをするという良い教訓だった。


 私の家の近くには雑木林がある。住宅地の近くにありながら結構広く、夏にはとてつもない数の虫の鳴き声を聞くことの出来る、自然の貴重な財産だ。

 小さな男の子にとって、未知の土地へ足を踏み入れることは、たとえそれが近所の林であっても、心踊る「冒険」なのだ。だから私達は「探検しようぜ」などと言って木の棒を探し、武器を見つけたつもりになって道無き道を進んでいった。

 探検の末、見つけた林の中の小さなスペース。私達はこのような場所のことを「秘密基地」と呼んだ。

 言うまでも無く秘密基地とは、秘密だからこそ価値がある。誰もが知っている秘密基地など、秘密でもなんでも無い。

 私達は、他に誰も知らないはずの秘密基地をどんどん改造していった。細い木を倒してジャンプ台にしたり、丸太を転がして椅子にしたり、鳩サブレの缶を持ちこんで物入れにしたり、ゴザを敷いて裸足で上がりこんだり。

 ところがある日秘密基地に言ってみると、そこには見たことも無い雑誌が散乱していたのだ。各ページはばらばらに千切れ、そこら中にばら撒かれている。

 大量のエロ本だった。そこには小学校低学年の私達には理解できない、おぞましい写真の数々が映っていたのだ。

 これら色とりどりの写真に見入っていた事は内緒だが、秘密秘密で無くなったその現場に、我々がショックを受けたのは事実だ。

 だが今考えると、ショックを受ける必要など無かった。そこに大量の雑誌を捨てたであろう若者と、友達になれば良かったのだ。

 同じ秘密の場所を共有する者として。


 中学時代、検尿の検査が毎年行われていたのを覚えている方もいらっしゃるだろう。検便ほどではないが、ことこの手の話題になると、子供たちの会話はやたら盛り上がるので良く憶えている(今でも盛り上がるが)

 ある日、この朝の戦果を、教室に着いた後、取り出そうとして愕然とした。鞄の中で、容器が潰れて中身がほとんど飛び出ていたのだ。

 ビニール袋にでも入れていれば良かったのに、容器と一緒に配られた紙の袋に入れているだけの簡易包装。シンプルイズワースト。

 これではたまったものではない。鞄の中の別ポケットに入れていたため、教科書等は無事だったが、ポケットそのものは汚染されて使い物にならくなった。鞄は綿で出来ているので、致命的だ。

 そして問題はほとんど空になってしまった容器だ。これでは提出してもしっかりした検査は受けられない。もう一度トイレに言って出しなおすか。ふんばれば多少出てくるかもしれない。(別のものが出てきたら嫌だが)

 結局、面倒なのでそのまま提出してしまった。濡れた紙の袋が気持ち悪かったが、ティッシュ等で包みながら持っていくと怪しまれるので、何事も無かったかのように素手で持っていった。

 小便の為に鞄を買い換えるのも癪だし、親にはとても言えないので、結局その鞄を2年近く使いつづけた。

 しばらくして問題のポケットにはカビが生えてきたが、子供だった当時、それ程気にせず同じ鞄を使いつづけた。ただ、そのポケットだけは使っていない。

 さて、後で検尿の結果が返ってきたが、問題無しということだったので一安心。

 皆さん、検尿は容器に一センチくらいの量があれば検査できます。こぼれた時の被害を考えて、量は少なめにしましょう。

補足:良い子の皆さんは真似をしないように。


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ページ作成 熊恭太郎