熊恭太郎雑記・ゲーム記事の解釈の注意(親記事) -

「何が正しいか」はさほど重要ではない

「何が正しいか」を結論づけることはたいてい重要ではありません。まるで世界を代表して結論を出そうとするかのような流れに対しては、あまり興味を持っていないものと思ってください。ただ、そうして語り合うことは「楽しい」かもしれません。

記事の書き手はさほどえらい人間ではありません。こちらは講釈を垂れるつもりはないので、押しの強いアピールがあれば私の不徳の致すところ。あまりストレートに受け止めないようにしましょう。人の感覚よりあなたの感覚を大切にしてください。

逆に読者の方の中には持論を語りたくて仕方のない方もおられるかもしれない。ですが、大抵は論理的な争点に対して私は興味を持っていません。

ここで言いたいのは軽重の話です。来訪者やTB元の人間がどれほど熱い理屈を語ろうと、私が情を動かされることはあまりないだろう、ということです。多くの場合、論理的な筋よりも個性の表現を見ているからです。たとえば面白い人だなぁ、とか、きつい言い回しをする人だなぁ、とか、優しい人だなぁ、というのが私の(心の中での)受け止め方になります。その会話が楽しければ論理的な話を続けます。

何が正しいかより、来訪者が何を好むかということに興味があります。もちろん別項で語ったように、読者の価値観は私の価値観と一致するものではありません。それでいいのです。私はゲームよりも人間の方が好きなので。