熊恭太郎雑記・ゲーム記事の解釈の注意(親記事) -

彼我のもつ価値観と方針を切り分ける

この世にまだ見ぬ好みのゲームを「語る」ことと、実際に「遊ぶ」ゲームは違います。「作る」ゲームも。すべて違っていていいのです。お互いに。当雑記の記事はそのことを前提に書いています。

  1. 私が遊びたいゲーム
  2. 私が作ろうとするゲームや、その制作公開方針
  3. 読者の方が遊びたいゲーム
  4. 読者の方が作りたいゲームや、その制作公開方針

以上四つは、必ずしもイコールでは結ばれません。とても無意味なことなので、ごちゃ混ぜにすることはお勧めしません。

私の想像では、上の四つの組み合わせがひと組でもイコールになった例はこの世にないんじゃないかと思っています。イコールになったように感じても一瞬だけで、明日には自分に合わないところを見つけていたり、自分が違う興味に向かっていることに気づいたりする。

もしこの世に価値観の一致する人間がいない(好みに合致するゲームは未来永劫登場しない、合致しても刹那的で終わる)とすれば、ちょっとくらい価値観の相違に遭遇したからといって、その人が(そのゲームが)すべて自分に合わぬ存在と解釈するのはおそらく永久に損だと思います。

もちろん損を選ぶのも解釈する人の自由ではありますが、期待や理想を唱えることを優先するあまり身近な楽しみ(理想には至らないまでも小さな楽しみ)をなくしたり、人間関係を損ねることは私はお勧めしません。