熊恭太郎雑記・ゲーム記事の解釈の注意(親記事) -

価値観の否定はもったいない

  • 私がAというゲームを素晴らしいと思ったことは事実である。それを私が書いた
  • 読者の方がAというゲームをできが悪いと思うことがあっても、それは事実なのだろう

両者は価値観がバッティングしていますが、それはいずれも尊重されるべきことで否定しあっても損するだけです。人の感覚を自分と重ねてしまうのは、二重の意味で勿体ないことだと思います。

以下は勿体ないこと。

  1. 人間関係を錯覚しかねない。Aというゲームに対する価値観が違ったからといって、その人と仲良くなれないと思いこむ
  2. 一方の長所を潰してしまう。Aというゲームをできが悪いと思った経験を元に別の作品を作り出せるかもしれないのに、書き手の感想に自分を合わせてしまうことでそれができなくなる(無理にできがいいと思いこむ)

加えて、不毛な論争に発展する可能性もあります。価値観の相違を強く意識すると一種の認知的不協和(興味があれば調べてください)を感じてしまい、そのままでは不快に繋がるので無理に「相手の欠点」を探そうとしたり、自分の考えに都合のいい資料だけを探してこようとします。これを互いに出し始めると不毛な論争に繋がりかねません。ですので、あまりストレートに受け止めないことをお勧めします。